六月三十日 TOP
ボーナスの季節ですね。日勤を評価された人、おめでとう御座います。オレ自身はボーナスを貰える立場ですら無いのだが、友人のゴんた君がボーナスが出るとかなりの確率でパソコンパーツを購入するため、それとは程遠い位置で他人事ながら他人事ではないのだ。
と、言うことでゴんた君が新しくパソコンを自作するため、購入したパーツを輸送するために車を出して欲しいとの要請があり、待ち合わせ場所へと向かう。パソコン自作の前になぜ車を購入しないのだろう。と思ったが、車を出しただけで飯を奢ってくれるのだから買わないでよろしい。ごちそうさまでした。 しかし、年始に新しいグラボを買ったばかりだというのに、最新のグラボと24インチの液晶ディスプレイも購入して二台目を自作するというのだから飽きれk……じゃなくて、恐れ入る。どうしてそんな高性能のPCが二台も必要なのかと疑問に思うのだが、某ネットゲーム界隈ではそのような連中がゴロゴロしているらしい。きっとそのコミュニティに所属しているゴんた君にとってはアイデンティティに関わる重大な案件なのだろう。と勝手に解釈。
オレはといえば、ネットゲームはKOCという携帯で参加可能なゲームをダラダラやってるだけなので、24インチの液晶とサウンドボードは欲しかったりするが、動画が見れる程度で安定して動いてくれればパソコンはそれで充分なのだ。
で、話題を変えて、「24」を初めて観た。FOXでやっていたのを一話だけ観たので前後の脈絡はわからないが、主人公ジャックバウアーはテンパリ過ぎだと思った。お前、時間が無いのはわかるが少し落ち着け。と言葉をかけてやりたくなる。日本には急がば回れ。急いては事を仕損じる。という先人の教えがあるのだが、アメリカはやはりスピード社会で率先してテキパキ動く上司がカッコイイのだろう。そんな上司は凄い嫌だと思うのだが、どうなの?(誰に) 最近読んだサンレッドの悪の組織の幹部ヴァンプ様とかパトレイバーの後藤隊長の自分はダラダラ、部下はテキパキの方が、長期スパンで考えたらチームの息が長く堅実だと思うのですが……。 ええ、アニメと漫画と半端に観たドラマの話で恐縮です。
六月二十九日 TOP
先に言葉があるのか、先に信用があるのか、「彼の言うことは信用できる」と感じたとき、オレはその人の発言の内容を吟味し論理的整合性があるか損か得かという価値判断で聞き入れることは少ない。オレが誰かの言葉を真摯に聞くとき、まず先にあるのは相手への信用だ。 信用とはどうやって培われていくのだろう。それは日頃の言動、態度、他者への敬意。そういった諸々のことが積み重なって信用というものは出来上がっていくのだとオレは思う。そこには長い時間がかかる。また少しのことでそれは簡単に失われる。だから他者への敬意を常に心に留めておかなければならない。
人に対して意見する時、謙虚さを持ち合わせていない人間の言葉はその人へは届かないのだ。正か非かという価値判断は案外に軽く、「お前が言うならやってみよう」「君の言葉は一考に値する」と、その人が思ったならば、それはその発言そのものよりも、その人の行ってきた行動に対する信用が担保になっている。
だから、提言が受け入れられないと感じたならば、受け入れる側が愚かだと断じるのではなく、自分の常の発言や行動が、その人にどう映っていたのかを考えるべきだと、オレは思うのだ。
六月二十七日 TOP
「塩野七生著、ローマ人の物語」を五巻まで読み終える。ちょうどユリウス・カエサルが暗殺され、その意思を付いたアウグストゥスが帝政ローマを開始し始める辺りだ。アレクサンダー大王が成し得なかった普遍的帝国を実現したユリウス・カエサルの天才性が実に魅力的だったが、どこか非人間的な印象を持つ。逆に手紙魔で弁護士で元老院議員のキケロが面白い。彼の文学ではカエサルを友としながらも、政治では敵として共和制の元である元老院を守る姿勢が、可笑しくも粋に感じる。キケロは元老院による共和制という時代に適合しないシステムを、変えなければと感じつつも見捨てないのだ。何の後ろ盾も無いキケロをこれほどまでに取り立ててくれた共和制ローマを愛しそれの復興を願い活動するが、カエサル亡き後にその配下のアントニウスによって殺される。歴史的には時代の流れの読めない人間と言えるが、彼の政治心情は実に人間臭く好ましく思えた。 そして、六巻ではパクス・ロマーナが始まるとあってワクワクしながら図書館へ返却へ向かった。だが、ちょうと六巻が借りられていてガックシ。久しぶりに読みたい本が本屋に置いてないという、無いことにより読みたい欲望がさらに増大する感情を味わう。 しかし、ずっとローマ人の物語を読んでいたので、気分転換に「内田樹著、他者と死者―ラカンによるレヴィナス」と他ニ冊を借りて読む。この「他者と死者」という本。はっきり言ってわけがわからなかった。わからないのは文章が悪いのではなく、読むスキルの足りないオレがダメなのである。ということがわかった(何のこった)。だって、書いてあるんだもん。レヴィナスやラカンの文章はワザと読み難くしてあるって。そうすることによって読者に著者への「問い」を喚起させるのが狙いらしい。まぁ、他にも色々書いてあったがオレにはまだ早い本だったので通読したが理解するには遠い一冊だった。また借りて読みたいと思う。 しかし、ローマ人の物語を五巻まで読んで世界の出来事を見てみると、未だ中国は前漢の辺りで曹操ドンが生まれてくるのにニ百年(?)掛かるっていうのだから、世界は広いとつくづく思った。日本は弥生ちゃんの頃で土器つくってほのぼのしてる遥か以前、三百年も前にカルタゴの名将、天才ハンニバルが現代でも通じるような包囲殲滅戦の基礎をつくってたり、政治は共和制で世襲を認めず、絶えず新しい人達を取り入れ、法による統治の下で言論を戦わせてたってんだから、そら日本人は国際舞台で通用しませんわな……。
六月二十日 TOP
近所のコムスンから「コムスン」のロゴが消えた。けど曲がり角には車が止まり非常に邪魔です。もっと奥があるんだからソッチに駐車してください。危ないです。
六月十九日 TOP
友人と自作のラーメンを作ってみた。ラーメンといっても袋綴じやカップメン、市販のタレがついた生麺ではなく、鳥ガラでスープをつくり、きちんと出汁をとったタレでつくった麺以外は完全自家製のラーメンだ。
今回の試み……作り方よりも、鳥ガラの入手や寸胴など、知識としては知っているが実際に何処で売っているのかわからないコレらの物を集める方に手間取った。
料理はマグロ、パソコンはゴんた。オレはこういうとき友人につくづく恵まれていると思う。本職の人、マグロに助言を貰い何とか材料を揃える。そして、鶏ガラの血合いを取り下準備して煮込むことおよそ三時間以上。完成したラーメンは中華料理屋の出来合いのスープで作ったラーメン以上の感触があった。これは嬉しい。
だが、比べるのも失礼な話だが、昨今ブームのラーメン屋に比べてしまうと、格段に無個性なラーメンであった。やはり情熱を注いだラーメン屋のラーメンというものは個性的であり美味しいのだと見直す。
しかし、こういうことは結果よりも過程が大事なのだ。楽しんだ。それだけで成功ともいえる。次に繋がる出来栄えでもあったのだし、大成功だったと思う。
本職の人マグロにも仕事終わりに食べて貰ったところ、中々良い感触だった。まぁ、素人で初めてにしては合格点というところだろう。 ラーメンだけの一日だったが次の日、つまり今日。先日つくって半端に余ってしまった鳥ガラスープの処理に困った。捨てるのも勿体無いのだが、またラーメンをつくって食べるというのも芸が無い。そこで、うどんや雑炊でも作ろうか考える……まてまてラーメンとは一つの形に在らず。せっかくなので鰹節でタレをつくり、今度は麺を冷やして、つけ麺を作ってみた。出来合いのチャーシューを購入して先日入れなかった鰹節を入れ、タレの配合を変える。当然のことだが味わいが若干違った。もう少し鰹節の味わいを前面に出せれば個性も出るのだろうが、どうも風味が多少香る程度だった。
ラーメン、ただ食べているだけでは気づかないが、中々に奥深いものだ。
実際に作ってみると、その難しさがわかる。美味しい物、優れている物にはそれだけで敬意を表したくなるものだ。
六月十六日 TOP
以前、知人間で楽しんでいたカードゲーム、MTGを先日久方ぶりにプレイした。面子は毎度の四人だが一度に集まるのも久しぶりである。おお生きていたか、最近どうだい? なんて言葉が出るほど互いに久しぶりではないのだが、二人で遊ぶとき、三人で遊ぶとき、四人で遊ぶとき、メッセ上での会話とは違い時々によって遊ぶこと、その場の雰囲気が異なるのだから面白い。そして、遠方へ行ってしまった彼がいればな〜などど思いつつ、四人でカードを回してブードラという方法でゲーム開始。
常々思うのだが、ゲームとはコミュニケーションだと思う。近年ネット上で麻雀やMTGがプレイできる。しかし、面と向かって会話しながら互いの腹を探りあいつつの勝負にはその面白さは遠く及ばないのだ。
マグロ君が購入してきた15枚一組のブースターを12個、それを三つづつ四人で分けて、ババ抜きのように自分の欲しいカードを回しては一枚抜きながら自軍の戦力を整える。現役を退いて大分経つので、どれも初見に近いカードばかりだった。だが、それが新鮮で会話が弾む。
互いにカードを揃えると、そのカードで40枚以上のデッキを作成する。この時点で勝敗のほとんどが決まっている。欲しいカードは手に入ったか、相手にはどんなカードが渡ったか等など。考える人は考えながら構築する。ちなみにオレはそういうことは考えず、シンプルにクリーチャーと呼ばれるモンスターカードで殴り倒すデッキが好きだ。というかそれしか作れない。
デッキが構築されると三戦勝負でゲーム開始。普段適当にプレイする人間もこのときばかりは、几帳面にルールを守り、慎重にゲームを進める。
MTGは六割は作成したデッキの能力、三割はプレイヤーの技術、そして残り一割がカードを引いてくる運の勝負だ。
これはバカみたいな話だが、本気で調子の良いときなどは恐ろしいほどにカードの弾きがいいものなのだ。逆に相手の気勢に呑まれると、まったく手札が充実しないことが良くある。だから、運というより弾ける!という信仰や気力の勝負とも言える。頭脳と運、そして気合、大げさに言えばそれが反映されるのがMTGというカードゲームなのだ。
で、勝負の結果。デッキ能力では断トツに強いという自負があったが緒戦のプレイングが甘すぎ、勝てる勝負で負けてしまった。二戦、三戦目では好調に勝利を収めるが一戦目の敗北が響き次順となる。逆にデッキ能力では、あまり優位とも思えないマグロ君が気合のプレイングを発揮してトップで終わった。断っておくとオレはマグロ君には勝ったんだからね! いや、悔しくないよ。悔しくない……。
……
人間、本気の勝負で負けたら、悔しいもんなんだよ!!
悔しいと思えるんだから、まだまだMTGは面白い。
六月九日 TOP
UP忘れてたけど、一緒に行った友人のBLOG見て思い出した。 少し前に蔵王のお釜見に行ってきた。 忘れたというより、タグで写真UPが面倒だったので先延ばしにしてただけだけど。
んで……
取りあえず南西の方にいけば付くんじゃね? なノリで地図を片手に友人と二人でドライブ開始。
途中、有名なラーメン屋の支店を見つけたのでそこで昼食をとりつつ、蔵王付近へ付いてからはひたすら上に向かって登る。本日は晴天のため、このようにとても気持ちがよかった。上に向かって走るので、雲に向かって突っ込んでいく感覚が神秘的。雲ちかっ!!
んで……
山頂のお釜付近は一転して生憎の曇り…・・・っていうかほとんど霧。その上に吹っ飛ばされそうな風が吹いてて、かなり怖い。山って居る…・・・霊的な何かが居る。とかそんな錯覚に陥る何かがあった。
そんなわけでお釜なんて見れる筈も無いので上記のリンクでも見てください。
んで・・・・
今までで体験したこと無かった風速だったので、一緒にいた友人にJOJO立ちを要請。快くやって貰ったけど。風速の感じがわかるかな? カメラ傾けてるわけじゃなく、斜面でやったからわかり難いかもしれないけど、後方に体重かけるとエアー椅子みたいな状態になるのだ。
蔵王山頂でJOJO立ちしたのは、後にも先にも彼一人だろう。
んで……
帰り道……途中で友人のお勧めのイタ飯屋でピザを食べ、せっかくだから秋保へも立ち寄ることにする。お釜は見れなかったけど、秋保の滝がとても素晴らしかった。
これは途中で撮った写真。自然って絵になる。
んで…・・・
車では行けない場所へ分け入り、後は徒歩で沢登。そして見つけた滝がこれ。コレってもしかすると川の源泉だよね? とか思うと、なかなかに感慨深い。というか水も自然も素晴らしく綺麗。きっとマイナスイオンが物凄い勢いで出ていたに違いない。 都会で溜まった毒素が全部洗い流されるようだった。
んで……
天気の良いドライブにはアブリル・ラヴィーンとか軽めのポップスが合うという結論に双方達しつつ帰宅。
最近、遊びといえば、そのほとんどがインドアばかりなので、実に清々しい一日だった。
六月八日 TOP
やい! コムスン!
自宅の道から公道に出る角に、車道に飛び出して駐車している貴社の自動車が視界を見事に遮っていて非常に危ない。
人を弾きそうになるので、ぜひ車道にはみ出ない範囲で駐車して頂きたい。
まぁ、それどころじゃないんだろうけど
六月六日 TOP
スリーハンドレッドが見たい。
……からだけってわけじゃないけど、大分以前に購入してずっと読めないでいた塩野七生著作、「ローマ人の物語」の一巻を読み始めた。スパルタについても書いてあるので事前情報収集。 それで、読み始めたらあまりの面白さに一気に読んでしまった。一巻だけでも物凄いボリュームなのに、まだローマが青年期に達したあたりまでしか書かれていない。カエサルとか出てこないし、知ってる名前も全然ないのだが、ローマがどのように誕生し、どのような政体を維持し、あれだけの覇権国家になり得たのか。ということが学術的にではなく、読み物として書かれていて、オレのような者でも時間を忘れさせてくれる。特に当時、最盛期を誇ったギリシャ文明を幼少期のローマがなぜ模倣せず、独自の政体を作り出したのというくだりが、ヤバイくらい興味深かった。古代といえば王政というイメージがオレの中にあるのだが、いやいや古代の人々は現代に生きる我々より遥かに賢明に生きていたんじゃないのか。と思えてくる。 ギリシャ文明だけでも民主政治の先駆けと言われるアテネ、本当に漫画のような軍事国家スパルタがあったりと、興奮してしょうがないのであった。 ……で、二巻を読みたいんだけど、これってかなり続編があるのに一巻、2500円くらいする……。
全部買うと、諭吉が何人か出て行ってしまうわけで、それはかなり辛いのだった。しかし、最近、時間を忘れて読める本に出会ってなかったので、何としても読みたい。
そこで、近所の公立図書館へ十年ぶりくらいに行ってみた。 あった……
なんだろう。文化って偉大だと思った アレだけの蔵書を無料で貸し出してくれる施設って、素晴らしい。 公共工事なんて止めて、図書館の蔵書を充実させてくれ。
六月四日 TOP
ニコニコ動画でWEB2.0を実感してるオレっていったいorz
いや、けど面白い。 賛否があるだろうけどコメントが盛り上げてる部分は大きいと思う。
六月一日 TOP
今日から仙台ではレジ袋が廃止され、皆でマイバック持参でお買い物するわけだが、ちょっとどうにも解せないことがある。
石油精製後の廃油でつくったレジ袋でも環境資源の無駄遣いになってたのか?ということがハッキリわからない。
新しく、石油資源で作った袋を大量に販売するのと、廃油でつくってたレジ袋を廃止するのはどっちが環境資源の消費削減になるのか考えると、下手するとレジ袋使ってた方が、資源には優しいってことだってあり得るわけで、そこらへんの数字ってどうなってるんだろうか。
それに、レジ袋削減で一番儲かるのって結局、某大手スーパーだと思うし……
なんだろうね。「環境」っていえば、中身はどうでもいい。見たいなことになってないかね最近は。
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